妻からの離縁状
新潟県十日町市にある「十日町情報館」が保管する資料の中に江戸末期に妻が婿養子の夫にあてた離縁状の写しがあった、というニュースが今朝の新聞に掲載されていました。1856年(安政3年)に十日町市の安養寺(地名です!)の娘「ふじ」が夫の「萬平」に書いたとみられています。吉澤家の歴史では1857年に三代目の吉澤與市(与市)が前掛けの製造を始めた年として、「創始の年」と位置付けていますし、日本の歴史ではペリーが浦賀に来航し、日米和親条約を締結、安政の大獄の嵐が吹き荒れる少し前の出来事です。
そのような時代の資料を専修大学の高木侃教授が「江戸期の女性の地位について見直しを迫る、画期的な内容」と評価。この資料は29日まで「十日町情報館」で公開されています。
「伴冶郎」の故郷・十日町市。関心のある方は行ってみて下さい。また、その際には是非、「きもの絵巻館」にもお立ち寄り下さい。今ならば新米コシヒカリも頂けます。
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